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重傷を負った者を仰向けで浮かせたり、救助のため引っ張ることが行われていた。こうして、背泳ぎは主に軍事目的で誕生した形跡が強い。仰向けで休息し、水上に楽にとどまること、あるいは、身体に傷を負うなど緊急時に救助することから背泳ぎの歴史は始まったと考えられる。それらは、仰向け姿勢による呼吸の容易さという利点が根底にあった。
その他にも、詩人ホメロスが古代ギリシア時代に、『オデュッセイア第6書』の中で背泳ぎという語を文中に引用した説や、紀元前880年頃、古代アッシリアの古都ニムロードから発掘された石刻に背泳ぎをしている人物が模写されているとする書物もある。だがいずれも信頼できる証拠とは言い難い。また、文献に関しても豊富には残されていない。
中世以降となり、西暦1538年ドイツ語教師ニコラス=ビンマン(Nicolas Wynman)が世界最古の水泳教本といわれる『コリンベ(COLYNBE)』の中で、背泳ぎについて触れ、概要から技術解説まで明記した。
「背泳ぎは、死んだように仰向けになり、手はバタバタするように、速く動かす。水を切るときには、よく研がれたスキでかくようにする。息は大きく吸い算から吐く」。
この内容から、この時代にはすでに仰向けで進む、移動するといった概念を持ち合わせていたことは、ほぼ間違いないようである。
また、1587年にはエベラード・ディグビー(英)が、『水泳技術』という技術書の中で背泳ぎの手足動作、水流などを図解入りで説明していたとされる。
独自の想像で水泳補助用具を考案し、水泳技術の本を書いたのは、フランス人のテヴェノゥ(Thevenot)であった。1696年にテヴェノゥは、ディグビー説を支持しつつも、仰向けで脚に器具をつけ、泳ぐと上達が早いことを唱えた(図2)。この時代には、すでに器具を用いて泳ぐという発想があったことを認める根拠となった。さらに、仰向けで進む、移動することよりも、いかにうまく泳ぎを習得するかといったことに関心が移っていったことがうかがえる。
避雷針などの発明で後世に名を残したベンジャミン・フランクリン(Benjamin Franklin、米)も18世紀、凧に牽引されながら泳げば、海峡横断も可能であろうとオリジナルのアイデアを発表し、俯せで長時間泳ぎ焼けた後には向きを変え、仰向けで泳ぐことを推奨している(図3)。
1700年代末期には、“ドイツ体操の父”グーツムーツ(J.C.r.Guts Muts)が、シュネップフェンタールで俗に言われる“一般大衆の背泳ぎ”を30年間指導した。グーツムーツの指導した“一般大衆の背泳ぎ”は、腕・脚ともに水中で動かした。腕は水中でリカバリーし、大腿部に押しつけるようにストロークし、脚は蛇足キックで蹴り、腕・脚動作のすべてを水中で行った。この“一般大衆の背泳ぎ”は、泳速は決して速いとは

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図2 テヴェノゥのヒントで考案されたイギリスの足踏み推進器 木村象雷:水泳概論、日本スイミングコーチ学校編(1973)より

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図3 海峡横断用の凧、フランクリンの考案 木村象雷:水泳概論、日本スイミングコーチ学校編(1973)より

 

 

 

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